ワルシャワの思い出 ♪ ショパンが最後に暮らしたワルシャワの部屋
2015年 10月 08日
生家ではなく ワルシャワを離れるまで3年間暮らした家の間違いでした。
がっかりさせてしまい ごめんなさい。
そのお詫びに私の大好きなこの曲を お聞きくださいね
ここはワルシャワ大学
先に歩いたクラフク郊外通り沿いにあり1816年に創設され日本語学科もあります。
キャンパスの一番奥には
カジミエーシュ宮殿があり、この宮殿の中には中高等学校と音楽学校があり
その音楽学校には1823年から1829年までショパンも在学し
宮殿の別館にはショパン一家の第二の住居跡も残されているそうですが
見学は出来なかったと思います。
生家はワルシャワの郊外ジェラゾヴァ・ヴォラにあります。
ワルシャワから西へ54キロメートル、車で一時間位のところです。
ジェラゾヴァ・ヴォラの生家へ行きたかったのに・・・・・
夫が宮殿でショパンの調べを聞くとかなんとか言うオプションを予約してくれていて
だけど、これがねちょっとね・・・・がっかりでした。
これから訪ねる『ショパンが最後に暮らしたワルシャワの部屋』は
ワルシャワ大学の向い側にあるチャプスキ宮殿(旧クラシンスキ宮殿)の中にあります。
17世紀のバロック様式の建物は、第2次世界大戦中に破壊されてしまい戦後に再建されたものです
今は美術アカデミーになっていますが
1830年にショパンがポーランドを離れるまで約3年暮らしたところです。
ここでショパンは初めてピアノ付きの屋根裏部屋を与えられました。
宮殿の正面には
「ショパンは1830年にワルシャワを去るまで、この家に住み作品を生み出した」
というプレートがあります。(写真はありません、ごめんなさい)
画像はお借りしました
このアカデミーの中を通り抜けていきます。
階段を上って左手突き当たりにありました。
余り大きくもない部屋が一部屋だけです。
ピアノには埃が見えていますね。
残念ですがここには余り訪れる観光客もないようです。
窓からの眺め
本当に人通りがないですね〜
ワルシャワ大学
丁度真向かいに見えました。
ショパンが描いた風刺画二枚 なんだか真面目そうなショパンとは懸け離れた印象
素顔を垣間見た見たようで面白いですね。
音楽以外にも才能に満ち溢れていたのでしょうね。
このような装いで迎えてくれたのはガイドさんです。
生誕200年のお祝いのこの年 街中がショパンで溢れていました。
初めて見ました~(^^)/
どうして ここは
こんなにすいているのでしょう?
不思議ですね。
道路も大学もひっそり~
素晴らしいです。
Upして頂いたノクターンを聞きながら、ムード満点でブログを拝見出来ました。
街並み、建物、部屋のインテリアなどにうっとりです♪
ゴチャゴチャして、今現在も煩いソウルから見ると、
とっても静かで落ち着いた雰囲気かと伺えます。
せっかくのブログなのに、スミマセン。
しかし、東欧の静かなたたずまいは魅力を感じますね。
ポーランド人はスラブ系? ポーランド分割以降、気の毒な国だな~という印象。
ヨーロッパ=西欧という感性でない、何かがありそうな気がしてますが・・・。
いづれにせよ生家でなくとも、ショパンが暮らした家ですから凄いですね。
ワルシャワ大学の通りなど静かな街並み、こういうところから繊細な曲が生まれるのですね。
遺品も面白いですね興味がわきます。
大好きなショパンの思い出を見せてくださってわくわくしています
有難うございます
ここで最後を暮らしたんですね 感動 *^^*
ショパンは身体が弱かったので曲も繊細だと言われていますが
祖国を愛したポロネーズ あの内面から湧き出る力強さが大好きです
今年もコンクールで賑わうでしょうね 訪れてみたいです
まるで本をめくっているかのように愉しませていただきました。
自分の人生では訪ねる日はないと思うだけに・・感動しました^^
貴族的で優雅に過ごしたワルシャワ時代の濃厚なアルバムphoto、
あいりすさんご夫妻の想い出の旅となりましたね。
心に残るブログをありがとうございました。
それにしてもショパンは短い人生でしたね。
こちらこそあありがとうございます。
お互いのんびりゆっくり
季節の移り変わりを楽しんで
美味しいものをいただいて
刺激的な書物に出会い
お洒落で上質な時間を過ごしたいですね〜
これからもどうぞよろしくお願いします^^
絶対数が少ないのだと思いますが
今改めて写真を見直して 本当に人通りもなく静かだな〜と思います。
この部屋も多分誰にもお会いしなかったように思います。
生家ではないし 戦争で破壊されてしまったのを復元したものなので・・・
ガイドブックにも出てないかもしれません。
ショパンの描いた風刺画 なかなか面白いですよね。
シンシアさんはショパンお好きでしょうか?
ワルシャワは先の大戦で市街地は壊滅的な被害を受けてほとんどが
復元したものです。
所々に傷跡が残っていていた痛々しいです。
ポーランド、ワルシャワ
時代に翻弄された悲しい歴史が印象強いので暗く悲しいイメージですよね。
ショパンのメロディーも静かで落ち着いたものが多いのは
訪ねてみて少しわかったような気がいたします。
ノクターンお聞きいただいて
コメントをくださったなんてとっても嬉しいです。
ありがとうございました^^
いえいえ、私も音楽には余り詳しくありませんが
長い間に音楽関係の方と知り合いになることも多く
色々学ぶことがありました。
ショパンは素敵な曲を沢山作りましたが若くして亡くなったのが残念ですよね。
本当にポーランドは悲しい歴史があって暗く厳しい冬のイメージが強いですね。
それだけに 別の何かを見てみたいような気がします。
コメントいただいてありがとうございました^^
この通りは大きな通りなのに静かでのんびり散歩するにはとっても良いとことでした。
こんな静かな所で ショパンのあの調べは生まれたのだなあ〜と
感慨深いです。
もっと長生きしていたらどんな作品を残したのでしょうね。
この街で暮らしてここであのメロディーは生まれたのだなと思うと
なんだか不思議な気持ちでした。
”身体が弱かったので曲も繊細” そうなのですね。
でも 祖国ポーランド、ワルシャワを愛し
最後まで戻りたいと願っていたそうですね。
今まさにコンクールの真っ最中 多くの方で賑っていることでしょうね。
祖国に戻りたいと願いながらParisで亡くなったのですよね。
多くのピアノ曲がありますが その殆どが独奏曲で
ショパンはピアノの詩人と言われるそうですが、美しい旋律が耳にも心にも残ります。
短命だったからこそ そういう思いが募るのでしょうか?
ショパンが暮らした時代と余り変わらないままこの通りは存在しているのだと思います。
ショッピングモールは
賑やかで人も多く活気がありました。
もう少し整理して続きUPしたいと思います。
また ご覧くださいね。
ありがとうございました^^
フジ子・ヘミングさんのショパン、何年か前に新潟でコンサートが開かれた時、聴きに行きました。懐かしく、夢のように思い出しています。(最近、全然クラシックコンサートに行けていないので・・・)
私もこの曲が大好きで、弾けるようになりたいと思って楽譜を買ったのですが、難しくてくじけてしまいました(笑)
ガイドさんの装いもすてきですね。
歴史を感じる旅を私も堪能させてもらいました。
ありがとうございました^^
街並みも素敵ですね~。
ショパンが描いた風刺画、何だか意外な感じ・・・
才能がある人って、絵も上手なんですね!
ガイドさんの衣装も素敵~♪今でもいけそうです!
私も最近はクラッシックコンサート ご無沙汰しております。
ドイツにいる頃は 本当に身近で日常の事だったのですが
日本では有名な方はお値段もさることながらチケットが手に入らなかったり
なかなか大変ですものね。
ショパン弾きたいです。
私も!!
くじけていますが 最近気を取り直して調律をしてもらいました。
ガイドさん ほとんど観光客がいらっしゃらなくてお気の毒でした・・・・
ポーランド、ワルシャワ厳しい気候の中で暗いイメージが強いですが
コンクールが開催されるこの時期 お天気も良く
明るく綺麗な町並みでした。
大戦で破壊されてしまったので忠実に復元されて残されている地区を歩いていると
本当に悲しい歴史が思い起こされて辛くなります。
本当に溢れんばかりの才能で驚くばかりです。