富山で訪れた所
2018年 09月 29日
息子の小学生の時のママ友が砺波市に住んでいるので
その彼女に会う為で、
その日、彼女は砺波からホテルまで迎えにきてくれました。
まずは市内のスターバックスカフェで一休みして
『岩瀬』へ向かいます。
岩瀬は江戸初期から日本海を行き来する北前船の港町として栄えてきました。
北前船廻船問屋が並んでいる旧北国街道の街並みは、
明治期に建てられた家屋が多く残っており、当時の様子を伺う事ができます。
通りの公園にあった北前船のモニュメントです。
ここが今も残る『森家』 内部見学が出来ます。
翌日は
雲行きが怪しくて 予約していたトロッコ列車での黒部行きは諦めて
高岡市にある国宝『瑞龍寺』へ行ってみました。
曹洞宗の古名刹
前田利長公の菩提寺として建立されました。
その後は
氷見市に行って 忍者ハットリくんのカラクリ時計を見る予定で向かいました。
橋と橋の間に掛かる『忍者ハットリ君』のステージ。
ひどい降り、大雨で車から降りられなくてフロントガラス越しのハットリくんです。
モクモクして来て消えちゃうのかしら?と思ったけれど 流石に消えはしなかったです。
忍者ハットリ君が大好きでした。
大人になってからもおまけが目当てでキャラメルをずーっと買っていました。
おまけのキャラクターを集めていたのですが・・・・
印象に残っているキャラクターは『獅子丸』
ハットリ君に仕える伊賀忍犬で、犬種はチャウチャウ。
ちくわが大好物。
車の中でひどい振りをやり過ごし、小ぶりになったので
藤子不二雄さんの『潮風ギャラリー』を覗きました。
雨脚が強くなり 帰れなくなってしまうかもしれない不安があったので
早めにホテルに送って貰い彼女との富山での再会はこれにて終了。
あの頃 まだ9歳だった息子達はすでに20代後半
随分月日が流れたけれど 時間はあっという間にあの頃に戻るのですね。
でも、流れた時間は容赦なく私たちに刻まれたのを実感したひと時でした〜
砺波平野の集落、なんといったか、写真でよく見る情景。
高岡の瑞龍寺、雪の中に行ったような・・・。
そうでした、氷見の海岸も行きました。
立山の蜃気楼を探しに・・・。
もう記憶が薄らいでいますね、歳ですね・・・。
素敵ですね〜重厚な建物と優しい光。
お蔵の扉には荒波でしょうか?柄が面白いですね。
お友達とも会われて楽しい時間だったことでしょう。
富山には行ったことがないんですよ。
行ったことがない県が沢山あります^^;
富山は初めてでした。
takeshi_kanazawさんは各地いらした事がありますね。
砺波平野の散居村のことでしょうか?
帰る日に八尾の友人に連れて行ってもらったので
次回upしようと思いますのでご覧くださいね。
瑞龍寺、雪の降る頃に訪れたのですね。寒そうです・・・・
新幹線が金沢まで繋がった時から かがやきに乗って富山へ行こう!
と言っていたのですがやっと実現しました。
まだ当時の蔵が残って降り、扉のデザインが珍しくて撮ってみました。
もう一枚upしたはずがうまく反映されたなかったので直しました。
扉の全体像がわかりますので もう一度ご覧になっていただけると嬉しいです。
友人とも20年近くも会ってなかったのかと・・・
驚きました。
私も訪れた事がない県が沢山あります。
北陸は今回の富山が初めてでした。
もう時間が無いなあなんて思ってしまいます。
そうなんです。
小雨ならそれもまた良し!と結構するつもりでしたが
流石にこの大雨ではとキャンセルしました。
別の友人が富山に2泊もしてどこに行くの?と言っていたのですが
私は故郷が広域県でピンとこなかったのですが
富山って日本海の富山湾に沿って湾曲しているのでどこへ行くにも1時間位なのですね。
なので黒部、立山、五箇山以外は
どこも1時間もかからず行けてこじんまりしています。
友人の言っていた事が理解できました。
二日目はあいの風鉄道に乗って高岡まで行きました。
友人に又富山市内まで迎えに来てもらうより 地元の電車に乗るのもいいかなと思って・・
初めての土地でのんびり電車に乗って
のんさんを思い出しましたよ!!
前の銀行名の暖簾を架けているのですか。
こういう木造の銀行って、
珍しいですね。
北前船で儲けた森家、
立派ですね。
蔵の扉に漆喰の模様を施すとは、
資産があった証拠ですね。
瑞龍寺もだだっ広い境内。
お寺で芝生が張ってあるのは珍しいです。
ハットリ君は…。
金沢より富山のほうが美味いものは多い! 特に魚。
いや金沢も悪くはなかったのですが、東京の谷中や月島みたいに作られた観光地みたいになっちゃって(T_T)
近江町市場(おみちょ、と言ってた)も観光客ばっかになって地元の人は敬遠するようになったと聞きました。
極めつけが某有名菓子店の女将が「お客さんがお金に見える!」
おふくろの田舎が金沢市で親戚従兄弟も居て、準故郷のように感じてるのですが佇まいが昔と変わったかなあ。。。
井上陽水の楽曲で「少年時代」というのがあるんですが、ボクの中でのイメージは富山の田園風景です。
でもまあ、金沢も街を離れ田舎の方へ行けばまだまだ!
能登なんか良いとこです♪
富山県は、色々と魅力的な場所がありますよね。
「おわら風の盆」に行かれましたか。
現在、訪れて観たい 祭の候補地 1番目ですが、
いまだ実現出来てません。
今年3月、氷見・雨晴海岸から富山湾越しに見る立山連峰を眺めてみたいと宿泊予約しましたが、所要で行けませんでした。
北前船の岩瀬地区、この街並みを拝見すると、一度 訪ねたくなります。
立山、黒部地区は、何回も訪れたので、「おわら風の盆」と
「氷見・雨晴海岸」に行けたら。。。と思ってます。
岩瀬は小さな街でしたが一角だけ当時の街並みが残っており、
森家は北前船でいかに財をなしたのか・・・?
と驚くばかりです。
今の物流の基本はここに会ったのかな?と思いました。
お寺に芝生 何も思わずに見て来ました〜
そうなのですね。
お若い当主様が頑張っておられるようでした。
金沢は以前一度訪れた事があるだけで比較はできないのですが
今回の富山、海のものが豊かで本当に美味しい!と思いました。
毎日、お寿司を食べました〜
種類が多く飽きる事なく楽しみました。
少年時代のイメージが富山の田園風景・・・
なるほど、分かる気がします。
友人の八尾の実家がそんな雰囲気でした。
ここは山間でしたけれど。
金沢も行ってみたいし、能登半島も周ってみたいです。
私も30年憧れてやっと実現した『風の盆』でした。
人が多くて やっぱりもっと早く来るべきだったなあと実感です。
ドラマ、歌などで人気が出て話題のお祭りになりましたね。
あんな小さな街、人口5000人位なのにお祭りに訪れる人がその23倍?とか?
友人の案内だったのでゆっくり出来ました。
次回はツアコンが出来るくらい満喫しました。
氷見は大雨で外を歩く事が出来なかったけれど、
帰る日は新湊や砺波市を案内してもらいました。
雪を被った立山連峰を見てみたいですが
夏場は冬から春先のようにはっきりくっきりと望むのはちょっと無理ですよね。
立山黒部行ってみたいです。
黒部へ行けなかったのが本当に残念でした。
タイムスリップしたような岩瀬の街並みですね。
建造物も見応えありますね。
古刹瑞龍寺は☆彡異邦人も行ったことがあって多くの人が訪れるところですね。
氷見で忍者ハットリ君が見られるんですか。
知りませんでした。楽しい一日でしたね。
北前船と言うと「津軽十三湊」を思い浮かべます
北前船の七湊の一つ 富山 越中岩瀬湊 ?
富山には一度も出かけたことが無く
よく知りませんでした(汗;;
やはり北前船の影響は当時の文化や商業発展に大きな
役割があったんですね。京都や大阪の文化が北陸、東北
北海道に広まったのは、やはり海運交通が重要だったん
ですね^^
津軽十三港は山からの堆積物で湊としての機能を
無くしてしまいましたが、富山湾に面した古い湊
は今でも元気でいるんですね^^
富山、素敵なところが多いですね。
まだ行ったことがないので一度行きたいと思っています。美味しいモノがたくさんあるようですものね♪
irisさんは遠くに住むお友達や古縁のお友達を大切にされているのですね〜素敵なことですね。
日々の雑事や新しい人間関係に紛れて、近くにいる旧友とさえあまり連絡を取らない私…ちょっと反省しました。
昔の仲間との語らいは楽しいものですが、時の流れを容赦無く教えてくれるのも確かなことですねぇ(-_-)
富山はこじんまりして黒部、立山、五箇山以外は
どこへでも1時間足らずで行けるのですね。
ハットリ君のからくり時計は もう滝の様な雨で車の外へ出られず
車の中から眺めました。
ワイパーが壊れたらどうしよう?と思うほどでした。
津軽13湊、??
全く知らなかった!お恥ずかしいです。
岩瀬の街をそぞろ歩いて当時の繁栄や
北前戦で財を成した森家の栄華を今も偲ぶ事が出来ました。
今の物流の基本はここにあるんだなって思います。
空では帰らない!行きも帰りの宝の山ですね。
岩瀬の湊が今も元気かどうかはよく分からなかったですが
富山湾の恵みに舌鼓を打って帰って来ました。
八尾は小さな街です。
川の流れる音、胡弓の音色が重なって人々の暮らしを彩っていました。
おわら本番の写真は残念ながらありません。゚(゚´ω`゚)゚。
京都より近いのでは無いかしら?
ぜひ、お出かけになってくださいね。
富山は初めてでしたが富山湾で採れる魚介類を堪能いたしました。
毎日、飽きずにお寿司を食べていましたね〜
私の友人達は今は日本中、世界中に散らばっていて
残念ながらもう当時の皆で一同に会する事は絶対無理です。
交通費もかかりますし、わざわざ会いに行くのも来るのも出来ませんから。
なので
機会があればどこかで誰かに会える様に計画を立てています。
友人達も同じです。
折角だから、、、という思いが強いです。
上京するからと連絡を頂くことも多いですし、こっちに来る事があったら?と
声をかけて下さるのはありがたいなあと思います。
遠くに住む友人や古縁の友達を大切に!などという思いはなく
これが私たちの距離感ですね。
子供達が日本で育って無いので地元の友人がいませんからね。
近所でお茶をする友人もないのですよ。
でも今は便利になって世界は狭く小さくなりましたね。